清澄寺

 

 

3年に1度くらいだろうか

訪れたくなる場所がある。

千葉県で標高が3番目に高い山

清澄妙見山にある清澄寺。

 

20歳の頃に初めて行って以来

ここに来る度に心が落ち着く。

 

高校時代に通い始めた

極真会館の創立者と言えば

有名な大山倍達館長。

彼が1年以上山籠りをした場所も

この山だったことは後で知る。

 

高校時代には修行の一環で

自分も山籠りをしようと

冬休みの計画を立て

道着と飯盒だけを持って

久留里線の終点の上総亀山から

ひたすら人気の無い山を目指し

野宿する場所を探した。元清澄山近辺。

 

人のいない小さな社を見つけ

近くで管理する人を訪ね

1週間ほど泊めてもらえないかお願いするも

「あんな寒い場所は無理だから

こちらの暖かい集会場を使っても良いですよ」

と、優しいお言葉をもらった。

 

今だったら、こんな無謀で行き当たりばったりの

旅でよくわからない高校生を

泊めてもらえる場所などないだろう。

 

だが修行に来た身としては

温もりのある場所では山籠りの意味がなく

2畳ほどの広さの暖房もない隙間だらけの寒い社を

お借りすることにした。

 

夕方5時にもなると既に暗く

懐中電灯しかないため

社の中に入り

隙間を新聞紙で埋め

寝袋にくるまらないと寒くていられない

トイレに行くときは裏山まで行き用を足す。

 

日の出とともに裸足でマラソンからが1日の始まりだ。

霜の降りた土を踏み車道に出てから坂道を往復し

戻ると朝食は飯盒で白米と梅干し。

その後は基礎運動から空手の突きや蹴りを

タオルを巻いた木を相手に千回以上繰り返す。

 

当時一緒に同行してくれたのは

剣道3段の友人。

彼は竹刀で組み手の相手となってくれた。

 

日が短いので1日はあっという間に夕方になる

日が暮れれば明かりがないので動けない。

19時には就寝していただろうか。

 

泊めてもらった場所に恩返しもせず

旅を後にしたかもしれない。

 

そんなことを考えながら

同じ場所を探すが、見つからない。

 

友人は旅の終わりには

寒さと稽古で腰を痛め

歩くのもままならなくなってしまった。

 

あれから40年以上が経ち

節目に清澄寺へ足を運ぶようになっていた。

 

この場所に来ると

悲しい出来事や

葛藤や迷いが浄化される。

 

日蓮聖人の銅像が段の上にある。石段は八十段以上。年齢に喩えながら一段ずつ登ってみる。