R.I.P.

バナナベンダーズ時代から気にかけてくれているCMの音楽プロデューサーから連絡があり録音スタジオへ呼ばれ「歌って欲しいメロディがあるから」と。「歌ですか?ラップならやりますけど歌はちょっと....」とお断りしようとすると「大丈夫!声のキャラクターが欲しいから」とぼくの特徴ある声が求められた。あとは以前からぼくに是非紹介したいミュージシャンで気が合うと思うからと、そのCM音楽を作曲編曲した人に会わせてくれた。

ムーンライダーズの岡田徹さんだった。

そしてプレイステーション・ソフト「クラッシュバンディクー」のCM制作現場。

歌は1530秒用のCMだけだったのでワンフレーズを何度か歌って終了だけど、後にソフトが大ヒットするなんてまだ誰も分からなかった。

「クラッシュバンディクー」はシリーズ化されサントラやゲーム内でも歌が使われる事になるので、岡田さんとチームを組み、SCSCZIPS(スカスカジップス)【スカ風のサウンドにSCSIZIPドライブと今では化石となったデジタルツールを掛け合わせた名前】というユニットとして急遽連日のスタジオワーク。

ぼくは岡田さんのスタジオで、岡田さんが音作りをする傍で作詞。そして書き上げるとすぐに歌やラップを吹き込む。互いの役割分担作業がスムーズに、締切に追われながらも気持ち良く進行した。

その時の事は後々まで良く岡田さんと思い出して語ったものです。


岡田さんとはそれ以来何かとご一緒させてもらいました。

Eテレの「天才ビットくん」で岡田さんがプロデュースするBレーベルでの制作や、アイドルの立ち上げ。試験的に音を交換しながら新たなアイディアを模索したり。デモもたくさん作った。

ぼくの担当する曲でもミュージシャンとして快くアコーディオンやキーボードを演奏してくれた。

時には、

ただ昼下がりに横浜の海を見ながら次にやりたい事を語り合ったり、お洒落な店を見つけると一緒に行ってみたり。カメラ好きの岡田さんは良く写真も撮っていたなぁ。


60代や70代の若さで力を与えてくれた先輩たちが旅立つ度に心が空っぽになる。自分の歳をあまり気にした事なく生きてきたけど、あと10年くらいの寿命かもと想像する。

岡田さんとは特別に親しくさせてもらっていただけに胸に空いた大きな穴は、なかなか埋まりそうもない。


いつも優しい人、優しい音でした。

ありがとうございました。

いつか来世で会いましょう。


引っ越す時に譲ってくれたバラフォンは形見となってしまった。