フロイトによれば人は誰でも毎日夢を見ているらしい。ただ朝起きた時にそれを思い出せるか思い出せないかだけなのだと。
自分は物心ついた頃から夢を見るのが好きだった。そして初老になった今も夢を見るのが楽しい。故に寝るのが好きなのかもしれない。
小さい頃に思ったのは、夢が現実で現実が夢なのかもしれないと想像を巡らした。今もたまに逆転しているのかもしれないと真剣に自分を疑ってみたりする時がある。生まれる前と死んだ後、何れも記憶などない。その世界へいつかはまた戻るのか。
何万年も前の世界に戻るのか何百年も先に立つのかまったくわからない。生と死は永遠の謎だ。
小池博史作品は常に自問自答を与えながら今の世の中の狂った歯車に警鐘を鳴らし続けている。
5回の短い公演だったけど密度の濃い時間があっという間に過ぎた。やりきった感は充実感そのものだがこの分けてもらったエネルギーを無駄に消費したくない。
友だちは5回は少ないよ。もっとやれば間違いなく波動が倍以上に膨らみ出して拡がり続けると言ってくれる。
何が正しいかは人それぞれだけど、消費されるものと時間を超越して心に残るものは同時に生まれ爆発したとしても後者の方が圧倒的に人生に拡がりと影響を与える。
ゴッホは絵画の中で売れるものを描く事が前提ではなく、描く被写体の本質を表して伝えたいと願っていたに違いない。それを人びとに伝える一心で。
いくら好きな事でビジネスにしていても、どこかで売れるものが正しいと決めつけがちだ。それは本質を一番見失う邪念に過ぎない。
何が自分に大切かは自分で決めればそれで良いのだけど、視野を失ってしまえば考え方も偏りしかなくなる。
そんな事をあらためて感じ、幻の光が現実にも光りを与えてくれたと実感する。
Photo by 許方于