あれから28年

28年前の1月17日は忘れる事ができない阪神淡路大震災のあった日。FM802でインディーズから初めてヘヴィローテーション曲が選ばれた。事務所もレコード会社のバックアップもない曲を選曲するにあたっては賛否両論あり一筋縄ではなかったと聞く。しかし関西のリスナーからの声が力となり反映された。「パリッ!とオバさん」。深夜番組のDJの中村義昭氏とは古くからの付き合い。TD後マスタリング前に真っ先にDATを渡して聴いてもらったのがきっかけだった。発売日前から何処よりも先にFMでOAしてくれた。毎週OAに乗せてくれ日に日にリクエストが届くようになり「工藤ちゃん、大阪来ないとまずいよ!」と声をかけてくれた。「大阪行く金なんかないよ」と即答。だが数ヶ月後には招待され行ってみたら街を歩いているだけで声をかけられるほど有名になっていた。FMから波及しレコード店、TV番組、有線放送に、街頭のウルトラビジョン、想像していないほどに曲が浸透していた事には驚いた。その結果1995年1月のヘヴィローテーション曲に選ばれた。そして1/17大震災でヘヴィローテーションは打切りとなった。オバさんの髪型で笑ってられる状況どころではない不適切な曲となってしまった。
それから5年が経ち以前お世話になっていたCM制作会社のディレクターが声をかけてくれた。服部克久さんプロデュースで震災復興支援への感謝と来訪を呼びかけたキャンペーン・ソングを小錦さんがメイン・キャラクターで作りたいからと、作詞作曲アレンジをお願いされた。
作詞は小錦さん自身が書き、作曲も一緒に時間をかけた。阪神淡路大震災の年に無力を感じていた思いがこの曲の制作で果たされる気がした。服部克久さんに曲の方向を伝えストリングス・アレンジをお願いした。今思えば何処のムジナかわからない若僧の勝手なリクエストを快く聞いてくれた懐の深さに器の違いを感じる。
1995年からモヤモヤしていた思いを全て曲にぶつけ力が入り過ぎていたかもしれない。ディレクターとも制作現場でぶつかる事もあった。携われた事に感謝は忘れない。今は廃盤になってしまったようで残念なので、ここに紹介しちゃいます。