不登校が増える学園生活の今と昔

小中校児童24万人が30日以上休み不登校の記事を読み思う。

遥か4050年前ぼくら昭和の時代にも中学になるとクラスに12人は必ずいた。先生の指示で授業を中断して自宅に引き篭った友だちの家まで代表3人で迎えに行った事もある。小学校では授業中や朝礼等で緊張のあまり放尿してしまった子も5人程いた記憶があるが、それが原因かは不確だけど5人中5人転校していった。森田芳光監督の「家族ゲーム」の中でもそんな事件があれば卒業するまで言われ続ける話があったけど、子どもの頃の方が大人より恋も含め対人との悩みは多かったような気もする。

自分だって数学や試験のある日は仮病を使ってでも休みたかった。休み癖がつけば更に行きたくなくなるのもわかる。現代の子どもが柔だとは言わないが、コミュニケーション能力に欠けていたとしても特技を活かして褒めてあげられるものが1つでもあったら良いんだろうなぁ。それが例え課目や進学や受験に全く関係ない事でもね。

自分も自由な小学校に比べ校則の厳しい中学校は嫌で嫌で行きたくなかった。

特に新しいクラスの教室で知らない顔ぶればかり、何か発言しようものなら隣の隣の男子が「フッ!馬鹿じゃねーの」なんて呟き、嫌な奴がいるクラスで1年過ごす自信がなかった。何かにつけイチャモンを付けてくるその男が近づくだけで気分が悪くなった。

ある休み時間だったか、近くの女の子の似顔絵を鉛筆で描いているとみんなが集まって来て、「わたしにも描いてー」となり、意地悪な男も近づきぼくの絵を見るなり「絵、上手いんだなあー」と急接近してきた。それ以来、彼は意地悪を言うこともイチャモンを付けることもなくなり、絵の話題になると何かとぼくの名前を出し、寧ろ仲良くなった。それ以来、行きたくなかった学校が少しは楽になった。

しかし、基本的には校則で雁字搦めの我慢ばかりの時間の連続の学校は好きになれない。体育館で学年集会の度に体育座りを20分も30分もさせられた日にはオナラを我慢するだけで必死だし、ちょっとでも私語を隣と話すだけで往復ピンタが飛んでくるし、唯一登校モチベーションを上げたのは大好きな恋焦がれる女の子に会える思いだけだったかもしれない。1日一瞬でも言葉を交わしただけで1週間は元気になれたものだ。

もう1つ学校で嬉しかったこと。

英語の授業は中1からだったが父が毎日予習を手伝ってくれた事で好きになり積極的に単語も覚えた。お陰で英語の成績は良かったので英語の先生には気に入られたらしい。学校行事外の課外コンサートで先生が英語の歌をホールで披露する場にギターの伴奏を頼まれたことがあった。小学校5年の時にヤマハ音楽教室のギター課で少しだけ習っていたのでちょっとは弾けたんだよね。でも「ぼくよりギターは上手いxx君がいるから、ぼくじゃないですよ」と断ったら「私はxx君ではなく貴方にお願いしたいの」と言われ、その場では仕方無さそうな素振りをしたが、その日の帰り道には1人笑顔で家に着くや否やギターを抱えて練習した記憶がある。学校がまた楽になった瞬間であった。

中学校時代は8割嫌で残りの2割位で何とか生き甲斐を見つけてた気がする。

ちょっとでもその歯車がずれれば登校拒否にもなっていたのだろうと想像できる。思春期はガラス細工のような繊細な心を皆もっているからねえ。

大人より余程、環境適応能力がありそうでも子どもには親、教師、友達との出会いでその後の人生に与える影響は大きい。


青春は学園生活に占める割合がほぼブラジル。


よって深く記憶を刻む学園の歌は尽きないのであった。


https://youtu.be/q1y9UPxsBrE


https://youtu.be/SnmZpoJITfU


https://youtu.be/yyAXoheUn60