小錦さん40周年おめでとう

小錦八十吉。コニちゃんの愛称で子供からお年寄りまでみんなに愛されているBigな人だ。

日本に来日して40年を記念し感謝の意を自らがプロデュースし大きなパーティを主催された。

 

そこで自分と小錦さんとの出会いを書いてみようと思う。

 

初めて会った時から不思議と言葉にしなくても通じるものを感じた。

人との出会いは本当に面白い。

 

音楽の世界での大先輩であるパーカッショニスト:斉藤ノブさんとは

仕事や飲みでは毎日のように可愛がってもらっていた。

そしてそのノブさんと長年の友人である

CM音楽プロデューサーの高江亜歩さんは

30年も前に出会いとても可愛がってもらっていた人だ。

(高江さんは残念なことに50代で亡くなられてしまった。)

 

小錦さんが相撲界を引退して

最初にCMを作ったのが高江さんで

「サントリーウイスキー」

「バスクリン」

はその代表でもある。

 

電話回線の通信速度を各社競っていた時代

DDIのCMで高江さんが斉藤ノブさんへ曲のプロデュースを依頼をし

Rap曲でのリクエストだったこともあり

自分が一緒に作ることになった。

 

4パターンほど作っただろうか。

そのうちの1つが本採用となり、

音源のレコーディング

続いて映像のシューティング。

 

ぼくら音作りが専門なので撮影の現場へは

なかなか行くこともないけど

小錦さんのRapのリップシンクのお手伝いや会いたさもあって

現場に足を運ばせてもらった。

 

川崎の工業地帯にある大きな倉庫での撮影の現場には

100人以上のスタッフがいた。

 

レコーディングで顔を合わせていたので

小錦さんに会うのは二回目だ。

 

当時自分はGMのタイフーンという絶販車に乗っていて

小錦さんもGMのタホの特注車。

車からして兄弟のようだった。

 

お互い車を見てコニちゃんは「好きなんだ?」と一言。

それだけでとても近くに感じた。

 

撮影現場は華やかで

大勢の人が小錦さんの周りに集まっていた。

 

 

昼食の休憩になり

小錦さんの控室へは遠慮がちだったスタッフは

誰もいなく、ポツンと1人だったところへ

自分はズケズケと遠慮なく入って行った。

今思えば

色々知らないと怖いもの無しというか

失礼極まりないというか....

 

だが、

小錦さんは違った。

 

気さくに声をかけてくれ

「こっちおいでよ」と

あの時のコニちゃんと

今も

思えば全く変わらない。

 

ぼくはレーベルの自作の12インチレコードを渡した。

「ぼくもレーベル作ろうと思っていたんだ」

 

それから音楽の話は共通のものばかり

年齢も同級生だったことを知り

とても嬉しかった。

 

 

連日の撮影が終わって

少しして

ぼくが渡した連絡先(当時はSNS等まだ無かった)の電話番号に

突然知らない電話がなった。

 

電話の向こうは小錦さん自身で

お台場のホテルにいるんだけど

ちょっと相談があるので来て欲しいとのことだった。

 

びっくりと同時に嬉しくて

すぐに直行すると

何十ページにも及ぶ書き溜めた

詩のモチーフを見せてくれた

 

いつか歌にしたいと思って

書き溜めていたものだ。

 

英語だったのですぐには

読み取れなかったけど

一つ一つを説明してくれた。

 

Rapで歌を作って欲しいという

依頼だった。

 

 

そして生まれたのが

「理由なき反感〜Sumo Gangster」

という曲だ。

 

アーティスト名はKonishiki Master of Sumo=KMS

 

アルバムはこの曲以外全て海外制作で本場Hip Hop Artist

Bone Thug N Harmony によるプロデュース。

洋楽アルバムとしてパイオニアLDCよりリリースされ

全国クラブ・ツアーにも同行した。

 

この作品を機に

その後、たくさんの作品を一緒に作ることになり

現在に至る。(かなり端折るとね)

 

先に書いたけど

最初に会った小錦さんと

今の小錦さんは全く変わらない。

つまり肩書きや見た目ではなく

中身で付き合ってくれる人なんだ。

 

世の中、肩書きや体裁で

近づいたり離れたりする人が多いけど

そんなことではない。

 

小錦さんは相撲現役時代から応援してくれている

一人一人のファンを今も大切にしている。

そして一度会った人を忘れない。

自分とは比較にならない人の数に接しているにも関わらずだ。

 

ぼくの祖父は新橋〜深川で

椅子作りの職人をしていたけど

相撲の時間になると手を止め

泥棒が入っても知らんぷりするくらい

相撲の中継にかぶりついていた。

その中で小錦さんが一番のファンだった。

 

祖父が亡くなり

住んでいた家の畳を取り除くとき

畳の下から

小錦vs.千代の富士戦の一面の記事の新聞が出てきたのを

今も忘れない。

 

小錦さんとの出会いは

どこかで祖父が笑顔で見ていてくれていると

いつも思いながら

楽しく過ごしている。

 

これからもお互い初老の

50代後半乗り切って

健康で還暦を迎えよう!!

 

コニちゃん、

おめでとう、

そしてありがとう。