ポンタさんありがとう


ポンタさんと初めてお会いしたのは、以前も書いたけど斎藤ノヴさん率いるノブケインのアルバム「Ignition 」のレコーディングで河口湖スタジオに足を運んだ時。

当時ルノー4GTLを乗っていたぼくの車を見て「外の車いいねー!君のだと思ったよ」と気さくに話かけてくれた。


当時、ノヴさんはじめ学生の頃からアルバムのクレジットやレコードで聴いた事のあるミュージシャンばかりの中でラップできるなんて夢にも思わなかった。

ノブケインはポンタさんと島村英二さんとツイン・ドラム。エンジニアの三浦さんはぼくに好きなマイクあったらと聞いてくれ、エレクトロヴォイスのRE20をセッティングしてくれた。ミュージシャン7人の音が明確に分離し稲妻の様に身体に飛び込んできたあの時のスタジオのヘッドホンの音は今も忘れない。

ポンタさんのドラムはラップのリズムにコール&レスポンスするようにフィルを返してくれた。


若い頃にある歌もののレコーディングで歌手が不在で、それじゃ叩けないと言って現場を怒って帰り、その時は強がってたから外には見せなかったけど、やっちゃったなぁと反省したなんて話を初対面でしてくれた。それ以外にも聞いてないのにあれこれ自分の話をたくさんしてくれたのが印象的だった。それもぼくがあまりの大御所に囲まれ緊張していたのを察して話してくれた優しさだったと後で気づく。


ポンタさんがレコーディング後もテレコを持ち運びながらマイルス・デイビスのCDを何枚も入れ替え聴きながら朝まで熱く語っていた姿はまるで少年の様だった。

そんなやりとりを見ていて、当時感じたのは、皆、大人になっても音楽を愛する気持ちや情熱は子供の頃に初めてバンドを組んだ時となんら変わらず続けている輝かしさだった。


仕事や大人になる事で、音楽に向き合う姿勢が変わるものだと勘違いしていたところがあったけど、それは全く違っていた。

純粋な気持ちと熱意をずっと持ち続けているから仕事として長く続けられる事の意味を教えてもらった。


その後も今は無き六本木ピットインやMt.Fuji Jazz Festivalでもご一緒させてもらい、ポンタさんのドラムでラップできた事は人生の中の大切な宝ものだ。


人の一生は長さじゃない、そう教えてくれたのは斎藤ノヴさん。


ポンタさんはノヴ!と呼び、ノヴさんはポンタ!と呼び合いながら時に喧嘩しながらもバンドを続ける姿には憧れを感じる。


またひとり、偉大なミュージシャンが旅立ってしまった事は本当に悲しく残念でならない。

音楽を通し生き方や優しさを分けて教えてもらった。そしてあの時々のリズムや音を身体の奥で感じ忘れないだろう。


ポンタさん、ありがとうございました。


心よりご冥福お祈り致します。


Peace and respect