昭和 平成 令和

色んなことに
ルールはあるけど
暗黙の了解というのは
日本人には
昔からある文化でもある。

例えば
ヤクザには厳しい世の中に
なってしまったけど、
そもそもヤクザがいて
街の秩序が
保たれていた時代もあったはずだ。

警察とヤクザが暗黙の了解で
目を瞑る場面があってこそ
というのも日本人ならではだ。

生活のルールは
モラルを反してしまうと
たちまち条例や法律で
規制されてしまう。

ゆくゆくは生活に閉塞感を生み
ちょっとした事ですぐに
警察沙汰になってしまう。

体罰に異論を唱える人が増えたが
ぼくは体罰という言葉の意味が
違うだけで必要な事だと思っている。

大人が自分の子に、
他人の子に
本気で
叱ってあげることは
愛がなければできない。

先生が生徒にピンタをする、
怒鳴る、叱る、喧嘩をする、
全く問題ない。

子ども同志、
ちょっとでも喧嘩しそうになると
親が出て来るのは
その方が問題だ。

子どもの時には
理不尽と思う事が
たくさんあった。

中には許されないような事も
あったけど、
それに負けずに
生きることを覚えることも
大切なのでなないだろうか。

昭和の教室ではこんなことが
普通にあった。
どんだけ昔の人だって
今だと思われかもしれないけど

ほんの40年前くらいの日常。
良いか悪いかは別として
社会人になる前にある程度
勉強になることは多かった。

先生はタバコを吸いながら授業していた。
しかも学年主任。
その為、灰皿がないと1番前の席の生徒に
「隣の教室から灰皿持ってきてくれ!」と使いパシリも日常だった。中学

先生に向かってニコニコしてただけで
拳で殴られた。中学

「エレキは学校を壊す!」と朝礼で
バンド禁止令が発令された。中学

クラス全員の前でハサミで髪の毛を切られた。小学

クラスで先生に殴られた回数がグラフにされ教室に毎月貼り出されていた。中学

小学校1年が先生に「死ね」と何度も言われ
二階から飛び降りようとしていた。小学

先輩と遠くの廊下で会ったことを気づかないと、挨拶しなかったとして放課後殴られた。高校

パーマは禁止だったがパンチパーマやアイロンパーマがたくさん居た。たまに抜き打ち検査で体育教官室で髪の毛を切られる生徒がいた。高校

校則で男子は全員五分刈りの坊主頭だった。中学

休み時間、先輩が来てクラスで1番喧嘩強い奴出て来いと言われ、名乗りでるとトイレに連れて行かれ一本背負いで何度も投げられた。高校

体育祭の棒倒しでは一年生は餌食にされボコボコに殴られた。歯が折れたり骨折した奴もいた。高校

文化祭で自主的に油絵を提出したら美術の先生は、もう俺の授業なんか出ないでいいから、塀の上でも何処でも教室から出て自由に絵を描いてて良いと言われた。中学

音楽の時間、反骨的に縦笛を力一杯メチャクチャに吹いていたら全員がやり出し、「元気があってよろしい!」と逆に褒められた。中学

先生に殴られ鼓膜を破った女子生徒もいた。高校

先生に殴られ意識を失った振りをした生徒もいた。中学

クラスの誰かの筆箱が盗まれ連帯責任でクラス全員が往復ピンタを受けた。中学

原チャリで皆、ノーヘルで登校していた。高校

幼稚園のクラス分けが「松」「竹」「梅」だったので松組は常に威張っていた。『おい、松1組に威張るんじゃねーぞ』等と竹組のぼくは廊下で念を押された。幼稚園

挨拶は「おはようございます」とか「さようなら」ではなく全て「チーッス!」だった。高校

練習中はどんなに暑い夏の炎天下でも水は飲んではならなかった。中学 高校

中間試験や期末試験が終わるとクラスで飲み会をやっていた。お好み焼き屋も居酒屋も暗黙の了解でお酒を出してくれていた。高校

授業をクラス全員でボイコットした事が何回かあった。小学

夏休みの夜に学校に侵入しテストの答えを盗み、皆で共有した。小学

林間学校で酒を没収され、次の朝、先生がその酒を飲んだらしく一升瓶を抱えてトイレで寝ていたところを生徒に発見された。高校

ハンドボール部はボールを買うお金がない為、試合がある度に空のボールケースを持たされ他校のボールを詰めて帰ってきていた。高校

ハンドボールは室内の競技だと言うことを大人になってから知った。どうりで怪我ばかりしていた。高校

色んな事があったけど
今は全て楽しい思い出でしかないのです。

ただ、それとは違う次元で令和とい元号だけは意味を考えるとぞっとするし使いたくない。