行先

自然の摂理として
1つの物事を得れば
その反面で失う物事が
常に存在する

例え二者択一でないとしても
気づかずにいるだけで

今日はカレーを食べようと決めれば
ハンバーグは食べれなくなる
だが、どちらも食べたいから
ハンバーグ・カレーにする

それは欲深いとは言わない

今日はハンバーグよりも
カレーが食べたいから
そう決めただけだ

どちらも一生に一度しか
食べれないものだとしたら
ハンバーグ・カレーにするかもしれないが
カレー・ハンバーグにだけはしない

文明は繰り返しの中で
新しいものを登場させては
失った部分を
開発し補っている

次から次へ
必要なものを
必要ない分まで

獲得する人が
欲深いのではなく
本当は
何も望まない人こそ
欲深いのではと思う

自分は最近
新しい服を1着買ったら
古い服は
1着捨てることにしている

服に限らず
捨てる事への
躊躇いは
歳とともに
少なくなった

身の回りに物を増やして安心するのは
俺の中では
もはや古い考えになりつつある

人は皆、死に向かっているのだから
それも自然な事なのかもしれない

寒い冬と
暑い夏の空気を
相互に貯えて
冷暖房に補えたら
なんて便利なんだろうと
いつも思うが

未だに夏も冬も
電気やガスの力に頼って
光熱量は増えるばかりである

それがある限り
常夏の島に
憧れを抱き続ける

インターネットのお陰で
世界の距離が縮まった反面
無駄に人と会う時間は減り

それを補うかの様に
無駄にSNSが標準化する

無駄に人と会う時間を減らすことで
疎外される人も増える

結局
知らない人まで
友達と称して満足する人が
増えただけで

本当の友達など
1人いれば良い方だ

でも本当に全てを語れる友達等
1人もいない

印刷は
写植や校正を
手でやっていた時代から
データで入出力ができるようになり

写真は光量や構図を
考えなくても
後でどうにでも加工できるようになり

音楽はレコード屋や
社交場へ行かなくても
自由に聞く事ができるようになり

自動車は危険を察すると
自動に回避してくれるようになり

携帯電話は肌身離さずいることで
安心感を覚える人が増え

それぞれの反面で失ったことは
あまり気にしていない
なぜなら
必要ないことに
なってしまったから

では本当にそれが必要ないことで
良いのだろうか?

世界の人口が
1日に約20万人も
増え続けているにも関わらず

子供が少ないと経済が破綻すると
逆行した考えが日本を更に
住みにくい国へしようとする

人口が増えるということも
自然の摂理で考えれば
当然何かが減って行く
つまり
食料やエネルギーや
それに通じる
植物や動物や自然界の恵み全て

計算ずくで
早々見切りをつけた
科学者たちの好奇心は
地球を捨て
宇宙への開発を考えている

地球の外へ
重量が動けば
地球の自転や
引力に影響ないのか??

飛行機が500人も乗せて
空を移動する事を
未だに疑問に思っている俺は
人間の未知への欲望こそ
疑問どころか不思議でならないこと
ばかりを感じている

人とのコミュニケーションは
握手を交わし
痛みを理解し
無駄な言葉を削ぎ取った関係の中にこそ
感じ取る大切なことがある
デジタルがアナログを超えることは
決してできない
なぜならアナログにしかないものを
デジタルが求めているから
ただ古くも新しくもない
共存すれば良いのだ

人と人とが
あるいは想像する力を
感じることができなくなってしまえば
人間の魅力なんて
つまらない

ロボットが人を支配するのは
もはやSF映画の世界ではなくなった

テクノロジーに支配されてしまえば
人はもうお終いなんだ